フッド セイルメイカースの歴史


創始者 Frederick(Ted) E Hood 1927年生 Beverly Mas/U.S.A

1949年  Marbleheadにてセイルメイキングを開始。
1950年  Ted Hoodは独自の方法でオリジナルHOODダクロンクロスの開発に成功しました。それはコマーシャルセイルクロスのように織られたクロスをプラスチックコーティングで固める方法とは異なり、ポリエステル繊維をより密に織る事でより伸びを少なくしたソフトなダクロンでした。
HOODのポリシーは市場で得られない良い材料は全てHOODで開発して使用する事でした。 HOODダクロンの他に1970年代にはケブラー・セイルクロスを、1980年代にはスペクトラ・セイルクロスを開発、そして1992年ベクトラン・セイルクロスを開発しました。
1958年〜1962,1964,1967,1970,1974,1977年
ディフェンダーとチャレンジャーにHOODダクロンセイルを供給。このことはHOODダクロンセイルの優秀さの証明といえるでしょう。 (1980年以降はケブラーが主流になり、寿命を無視したワンレガッタセイルが使われるようになりました)

1960年代  日本でもHOODセイルは竜王、コンテッサそしてサンバード等当時代表的な外洋レーサーに使われていました。その形状は素晴らしく、日本製のセイルとは全く違っていました。
1971年  HOODセイルの技術を得ようと考えた戸谷壽男は当時HOOD NewZealandのマネージャーであり、ワントンカップをNew Zealandに持ってきたChris Bouzaidのもとへセイルメイキングとオフショアレースの修行に向かいました。 約1年半の修行の後、日本へ帰りHOOD NewZealand Ltd日本支社を設立。当初はHOOD NewZealand製セイルのサービス業務を行いました。
1973年  「鳥羽パールレース」にてHOODセイルを使用した『TOSHI3』がクラス優勝。
1974年  「沖縄-東京レース」にて『SUNBIRD Ⅴ』が総合優勝、『TOSHI3』がクラス優勝。

フッド セイルメイカース ジャパン(株)を設立し、日本法人として日本でのHOODセイル製作を開始。もちろんセイルクロスはTed Hoodの作るHOODダクロンクロスを輸入して使用しました。

1975年  セイルを作るには広い床面積が必要であることから、横須賀市長井にセイルロフトを建造。1990年増築。現在敷地面積600平方メートル、ロフト延べ床面積527平方メートル。

1986年  「JAPAN CUP」にて『白鯨3』が優勝。
1988年  「KENWOOD CUP」にて『海太郎』が好成績をおさめました。
1994年  「オレンジカップ サントピア」にて『KONAKAI BABY MUM36』がCLASS1優勝。

良いセイルを作るには常に最先端の技術を知らなければなりません。世界のHOODグループが毎年集まって開催するHOODワールドセミナーにも参加。またHOODスタッフはセイラーとしても常に数々のレースに出場しています。